近年,科学技術の目覚ましい進歩により,天文学においても精度の高い観測データが大量に取得されるようになってきた。これはどこの分野でも同じであろうが,無限に近い広がりを見せる大宇宙を相手にする天文学ではこのことの恩恵はとりわけ大きい。
観測の精度が上がれば上がるほどいくらでも新しい現象が見つかり,それを説明する理屈が考えられている間に更に新しい発見が相次ぐのである。既に測定精度が限界に近付いていて観測による定性的発見が底を突きつつあるような分野も多い中,天文学のこうした天井知らずの発展はまさに瞠目すべきものであると言える。
大気のゆらぎを避けた立地条件をとことんまで突き詰めて遂には宇宙空間に大型の光学望遠鏡を打ち上げてしまったHubble Space Telescope の成功1),直径 8mの一枚鏡の表面形状を 10-6m単位で能動的に制御する補償光学手法の開発2),数kmの基線長にわたって直径 10mのアンテナを 50台以上連ね,分解能 0.01 秒角という驚くべき精度を狙う大型サブミリ波アレイ計画3),銀河系全域に分布するメーザー源を相対VLBIを使って測定し,10-5秒角の超高精度で星々の位置を確定しようという広域精測望遠鏡計画,ファブリペロ干渉計の基線を 300mまで延長し,空間の歪みを 10-21の相対精度で測定して超新星爆発などによる重力波の放出を検出しようとする重力波天文学の試み4),…などなど,天文観測の限界精度は今もってまったく天井知らずの上昇を続けており,それに伴なって我々の目に見えて来る宇宙の姿は劇的に変化しつつある。
筆者に関係の深い惑星科学の分野を例にとってみよう。ほんの 20年前には,惑星と言えばまず間違いなく我が太陽系の惑星のことを指す用語であった。
ところがここ数年,銀河系内の星形成領域において原始惑星系円盤の観測が相次ぎ,惑星形成の分野に極めて重要な知見を多くもたらした5),6)。と思っていたのも束の間,既にいくつかの恒星に関しては具体的な惑星の姿が発見されつつあり,その例は今後ますます増え続けて行くものと思われる7)。
惑星系形成の理論的研究の弱点は観測との直接比較が困難であるということで,それがために古典的な実証主義者からは非難を浴びることもあったのだが,現在の精密観測の恩恵によりそのような保守的見解は完全に打破されたと言える。
46億年と言われる太陽系の歴史を我々人間が直接に体感することはできないが,宇宙の端々を見渡せばそれぞれの進化段階にいる惑星系をあちこちに見つけることができ,まるで紙芝居のように進化の時間的断面を垣間見ることができる可能性が高まっているのである。
つい 1970年代まではアナログデータの代名詞とも言える写真乾板を用いた定性的研究手法に支配されていた天文学も,こうした観測精度の圧倒的向上と共に,文字通りの正確で定量的な先端的精密科学となって来たのである。
このような精密観測の時代になって来ると,観測結果を物理的立場から理論的に説明することを目的とした数値実験についても,ますます大規模で高精度なものが要求されるようになるのは必定である。
PCのクロックが 100MHzから 200MHzになれば,天文学者は 500MHzの仕様を要求する。G バイトオーダのディスク容量が一般的になる頃,観測データの量は T バイトオーダに達している。計算機の処理能力に関して言えば,供給が需要に追い付く日は半永久的に来ないと思われる。
また一方,数値実験は観測事実を説明する手段のみとして用いられるものではない。観測精度が一方的に上昇するという状況の中では,高精度の数値実験が茫漠とした宇宙空間の効率良い観測のための羅針盤にも成り得る。
例えば,国立天文台がハワイ島山頂に建設中の大型光学赤外線望遠鏡 ( 通称「すばる」望遠鏡 ) の主鏡は 8m以上もの直径を誇り,地球から遠ざかること 150億光年の彼方の超高分解能観測を狙うものである2)。望遠鏡がこうした深い宇宙の精密探査を狙ったものである場合,いくら有能だからと言って滅多やたらと望遠鏡を振り回したりしていては,あまりにも無駄が大きすぎる。
実際の観測を行う前に,宇宙のどこを見れば何が見え,どのような方法で見ればより効率が上がるのかをある程度予測して行くことが非常に重要になって来る。このための支援手段が計算機による数値実験であり,数値実験を効果的に活用することにより,大望遠鏡による観測の能率を飛躍的に高めることができると予想される。
我々はしばしば,数値実験やデータ解析を行うための計算機システムを実際の望遠鏡と比較して「理論天文学の望遠鏡」と呼ぶ。常に観測的研究が主導的立場に立って来た天文学の現場,とりわけ現代のように高精度のデータが大量に蓄積されつつある状況においては,最先端の光学望遠鏡や電波望遠鏡に勝るとも劣らぬ能力を発揮することのできる理論の大望遠鏡が何としても必要なのである。
本稿では,こうした事情を背景として今年から国立天文台に導入されたスーパーコンピュータVPP300/16Rとその周辺システム,運用方法などについて概観する。導入からまだ日が浅く,華々しい学術的計算結果はあまり見当たらないようだが,いくつかの試験的計算結果の例と将来の展望についても若干紹介したい。
なお,国立天文台の計算機システムは,理論的な数値実験のみではなく上述のような大望遠鏡から産出される膨大な量のデータ処理解析のためのものでもある。特に,天文画像データの解析ソフトウェアとしては完全に国際標準と言えるIRAFをVPPシステムに移植するという作業が富士通システムエンジニアの協力のもとで行われており,いずれはスーパーコンピュータの高いベクトル性能と広い主記憶を利用した快適なデータ解析環境が構築されるものと期待されている。但し,本稿では紙面の都合上から数値実験に焦点を絞って筆を進めて行くことをあらかじめ御了承いただきたい。
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