おわりに

世界認識の拡大を目指す自然科学の諸分野の中でも,天文学の目覚しい歩みの速度はまったく緩む気配がない。その中で,巨大な数値計算によって天文学の新しい地平を切り拓こうとする我々の企ては,VPP300システムという強力な助っ人を得て何とか軌道に乗りつつある。

けれども,スーパーコンピュータを取り巻く今の状況は--おそらくはまだまだ上昇を続けるであろう計算機本体の能力の発達とはほとんど無関係に--明るい材料ばかりとは言えないであろう。日本社会もようやく文化としての自然科学の重要性を認識したのか,ここ数年の科学研究費の伸びは昔に比べてかなり顕著になっており,研究者が高速なマシンを自分の机の上でひとりじめにすることも容易になってきている。

いくら大型の数値実験が可能であると言っても,扱うデータ量が小さい場合にはワークステーションより遅く,ベクトル化ができない場合にもワークステーションより遅く,並列計算しようと思ったらいやでも(もはや大学教育の現場ではCやPascalに地歩を譲りつつある)FORTRANに頼らなければならないスーパーコンピュータの現状を見れば,若い研究者や学生の多くは己の机上のマシンで閉じることのできる問題を数値計算のテーマに選ぶことであろう。

更に,近年の天文学業界においては専用計算機の台頭が目立ち,本稿で紹介したような数値計算に関してはいずれも高速な専用計算機を作製しようという計画が進行中あるいは既に完成して成果を挙げつつある24)-26)

自然科学業界のこうした状況を考えてみると,高額の導入予算を必要とするスーパーコンピュータが大型化・汎用化という現在の方向のままで 21世紀を迎えた場合,劇的なコストダウンの戦略でも練らない限り非常に狭苦しい立場に追い込まれることは必至だと思われる。

日米の貿易摩擦は簡単には解消せず,大型計算機導入の手続きは煩雑の一途を辿ることであろう。スカラ計算の分野では,広大で肥沃な消費市場に支えられた量産廉価PCが次々とスーパーコンピュータを追い抜いて行くことであろう。当節,自然科学の発展に寄与し得る計算機が「スーパー」である必要が本当にあるのかどうかを真剣に考え直す時期が近づいているのではなかろうか?

しかしながら,計算機というものなしには自然科学の研究が一歩も進まないということもまた明白な事実だし,大型のベクトル並列計算によってしか開拓することのできない分野が天文学には(もちろん他の分野にも)存在することも確かである。富士通をはじめとするメーカには,かつて一世を風靡した「スーパー」という冠に拘らず,自然科学の展開に対して真に貢献できる計算機像について真摯に検討する姿勢を望みたい。

1996年 10月現在,様々なトラブルや予期せぬ事態を抱えながらも本格的な稼働を続けているこのシステムが輝かしい学術的成果を次々と産み出す玉手箱となるのか,巨大な恐竜の如く絶滅の道を辿って終わるのか,我々の真剣勝負は今始まったばかりである。


謝辞
本稿に掲載した各種の計算結果や図のいくつかは,国立天文台の菊地信弘さん,筑波大学の中本泰史さん,東京大学理学部の濱部勝さんから提供していただいた。この場を借りて深く感謝したい。


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