多波長同時観測でさぐるM87巨大ブラックホールの活動性と周辺構造―地上・宇宙の望遠鏡が一致団結―

【概要】

2017 年 4 月、イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)と地球上の各地の望遠鏡、さらに宇宙空間にある電波望遠鏡、可視光線・紫外線望遠鏡、X線望遠鏡、ガンマ線望遠鏡が、一斉に楕円銀河 M87 の中心にある巨大ブラックホールを観測しました。これら多波長域の観測データを組み合わせた結果、巨大ブラックホールから噴き出すジェットの詳細な姿が描き出され、この時期のブラックホールの活動は非常に「おとなしい」状態にあったことが明らかになりました。
さらに今回の観測結果と、理論・シミュレーション研究で得た結果との比較から、EHTで観測されたブラックホール近傍のリング状の電波放射領域とは異なる場所からガンマ線が放射されていると考えると、観測結果をうまく説明できることが分かりました。これは、巨大ブラックホールから噴き出すジェットが複雑な構造を持っていることを示す結果であり、ジェットの形成や多彩な電磁波放射メカニズムの解明の手掛かりとなる重要な成果です。
本研究には、地上・宇宙から計19の多波長域の望遠鏡が観測に参加し、さらに国立天文台が運用する天文学専用スーパーコンピュータ「アテルイⅡ」がシミュレーションに加わって、32の国と地域から総勢760名を超える研究者が参加しました。そして、ジェットを持つ巨大ブラックホールの観測キャンペーンとしては、天文学史上最大規模となりました。

この研究成果は、Event Horizon Telescope Science Multi-Wavelength Science Working Group et al. “Broadband Multi-wavelength Properties of M87 During the 2017 Event Horizon Telescope Campaign”として、米国の天体物理学専門誌『アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ』に2021年4月14日付で掲載されました。(2021年4月14日プレスリリース)



図1:楕円銀河 M87 の中心にある巨大ブラックホールをさまざまな波長の電磁波で観測した画像。使用した望遠鏡によって観測波長や解像度がさまざまであり、見えているスケールも異なる。(Credit: The EHT Multi-wavelength Science Working Group; the EHT Collaboration; ALMA (ESO/NAOJ/NRAO); the EVN; the EAVN Collaboration; VLBA (NRAO); the GMVA; the Hubble Space Telescope; the Neil Gehrels Swift Observatory; the Chandra X-ray Observatory; the Nuclear Spectroscopic Telescope Array; the Fermi-LAT Collaboration; the H.E.S.S collaboration; the MAGIC collaboration; the VERITAS collaboration; NASA and ESA. Composition by J. C. Algaba)

【詳細】

地球から見ておとめ座の方向約 5500 万光年の距離に、楕円銀河 M87 があります。その中心には、太陽の 65 億倍の質量を持つ巨大ブラックホールが潜んでいます。ブラックホールはその巨大な質量によって周囲の空間をゆがめ光すら飲み込んでしまうほどの存在ですが、ブラックホールのすぐ近傍からは非常に高いエネルギーのガスが細⻑い「ジェット」として放出されることがあります。M87 の巨大ブラックホールは、こうしたジェットが初めて発見された天体でもあります。一方、どのようなメカニズムでこのジェットが放出されるのかは、まだ明らかになっていません。

2017 年 4 月、地球上の 8 つの電波望遠鏡をつないだ EHT がこの巨大ブラックホールを観測し、ブラックホールの「影」の撮影に史上初めて成功しました。ところが、EHT によるこの観測だけでは周囲に存在するはずのジェットをはっきりと写し出すことはできず、ジェットとの関連やブラックホール周辺の詳しい構造については未解明のまま残されていました。

実は 2017 年 4 月の EHT による観測と協調する形で、世界中の多くの望遠鏡も同時期に M87 のブラックホールに向けられていました。日本をはじめとする東アジア、欧州、南北 アメリカ、アフリカ、ハワイ島やカナリア諸島にある電波望遠鏡、可視光線望遠鏡、ガンマ線望遠鏡、さらには地球周回軌道上に浮かぶ可視光線・紫外線望遠鏡やエックス線望遠鏡、ガンマ線望遠鏡など、その数は 19 台に及びます。電波からガンマ線までの幅広い波⻑域の 電磁波をできるだけ同時に観測することで、M87 のブラックホールやジェットの性質を多角的かつより正確に分析することができるのです。ジェットを持つ巨大ブラックホールの観測としては、天文学史上最大規模の観測キャンペーンとなりました。

多数の望遠鏡による観測の結果、巨大ブラックホールから噴き出すジェットの根元近く(0.3 光年)から 5000 光年ほどまで広がっている姿が、様々な波⻑の電磁波で明らかになりました。これは、言ってみればジェットの「多色画像」を捉えたことになります。ほぼ同じタイミングで、これほど幅広い波⻑帯でブラックホールから放出されるジェットが描き出されたのは、これが初めてのことでした。

動画:楕円銀河 M87 中心の巨大ブラックホールを、イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)の観測画像からさまざまな波長の電磁波で観測した画像へズームアウトした映像。使用した望遠鏡によって解像度や見えているスケールが異なる。(The EHT Multi-wavelength Science Working Group; the EHT Collaboration; ALMA (ESO/NAOJ/NRAO); the EVN; the EAVN Collaboration; VLBA (NRAO); the GMVA; the Hubble Space Telescope; the Neil Gehrels Swift Observatory; the Chandra X-ray Observatory; the Nuclear Spectroscopic Telescope Array; the Fermi-LAT Collaboration; the H.E.S.S collaboration; the MAGIC collaboration; the VERITAS collaboration; NASA, ESA and ESO; NASA/GSFC/SVS/M.Subbarao & NASA/CXC/SAO/A.Jubett.)

今回の観測には、国立天文台水沢 VLBI 観測所が韓国・中国と共同で運用している東アジア VLBI ネットワーク(EAVN)も参加し、ブラックホールから噴出して間もないジェットを詳しく観測し、その形状や明るさなどを測定しました。EAVN データの分析をリードした総合研究大学院大学博士課程 国立天文台水沢 VLBI 観測所の崔玉竹 氏は「天文学最大の謎のひとつであるブラックホールジェットの謎を解明するためには、ブラックホール本体付近の撮影が得意な EHT と、ジェットの撮影が得意な波⻑の⻑い電波を用いた VLBI 観測を同時 に行う必要がありました。今回はそのような共同観測が史上初めて実現したマイルストーンとなりました」と述べています。

国立天文台水沢 VLBI 観測所 秦和弘 助教とともに EHT 国際多波⻑サイエンス作業班の世話人を務めるマギル大学のダリル・ハガード准教授は「世界には、自分たちの理論や仮説が今回得られた豊富なデータと合致するかどうか確認したくてうずうずしている研究チームがいくつもあります。データが広く公開されることで、研究者コミュニティの誰もがこのデータを使うことができ、ブラックホールとジェットの関係がよりよく理解できるようになるだろうと期待しています」とコメントしています。

同じく同作業班の世話人でアムステルダム大学のセラ・マルコフ教授は、「もっとも大きな謎のひとつは、私たちがキャッチした電磁波がどのようにして生み出されているか、という点です。EHT の画像に加えてとても豊富なデータが得られたことは、ブラックホール の『影』とジェットの両方をうまく説明できる理論体系を作る手助けになるでしょう」と語っています。

今回観測された波⻑帯のうち、エックス線、ガンマ線といった高エネルギー電磁波放射のデータを分析した結果、2017 年 4 月ごろのタイミングでは、巨大ブラックホールの活動性が非常に静穏だったことがわかりました。ブラックホールの活動が活発な時は電波も含めた様々な波⻑の電磁波放射が強くなるのですが、今回の観測キャンペーン中ではそれがあまり強くなかったのです。

研究チームは、国立天文台が運用する天文学専用スーパーコンピュータ「アテルイⅡ」などを用いたシミュレーション研究や理論研究も行い、その結果と電波からガンマ線までの幅広い波⻑域の同時観測データとを総合的に比較することで、静穏期にあるブラックホール周辺のようすを理解することを目指しました。シンプルな仮定をもとに計算したところ、少なくとも今回の観測時期では、EHT で観測されるブラックホール近傍の電波放射領域とは異なる場所でガンマ線が放射されていると解釈することが最も自然であることがわかりました。アテルイⅡによるシミュレーションを行った東京大学宇宙線研究所の川島朋尚 研究員は「これまでしばしば、EHT で観測されるような電波と最高エネルギーの電磁波であるガンマ線は、同じ場所で放射されていると考えられてきました。今回初となる多波⻑同時観測データはこれまでの理論解釈に一石を投じるものであり、今後この分野の理論・シミュレーション研究が急速に発展していくことが期待されます」と述べています。(アテルイⅡによる貢献の詳細はこちら

今回の観測成果で注目すべき点には、地球に飛来する高エネルギー宇宙線の起源も挙げられます。宇宙線のエネルギーは、素粒子実験に用いる粒子加速器の 100 万倍にも達します。こうした高エネルギー宇宙線の起源のひとつとして巨大ブラックホールが噴き出すジェットが想定されていますが、その詳細についてはわかっていません。この謎に迫るひとつの手段が、最高エネルギーのガンマ線を観測することです。今回の観測結果は、少なくとも 2017 年の観測時点では、巨大ブラックホールの事象の地平面周辺ではガンマ線が作られていないことを示していました。この研究をさらに進展させるには、別のタイミングでの観測を重ねる必要があります。

今回の研究は、ブラックホールから噴出するジェットの構造と成因を明らかにするための第一歩といえます。EHT の観測は 2018 年にも行われた他、2021 年には参加望遠鏡を 3 局 増やし性能を向上させて観測が行われます。異なる時期の観測データを比較することによって、ブラックホールの活動性の違いやこれに伴って変化するジェットの構造、ブラックホール周囲の物質の性質、磁場構造など、ブラックホールに付随する様々な謎を解き明かすことができると研究者たちは期待しています。

EHT 国際多波⻑サイエンス作業班の世話人の1人であり本研究の全体とりまとめを務めた国立天文台水沢 VLBI 観測所 秦和弘 助教は「本研究は EHT チームと世界の様々な波⻑の望遠鏡チームが一致団結し、32 の国と地域から総勢 760 名を超える研究者の協力によって成し遂げられた合同成果です。我々は今後も EHT と同期した多波⻑合同観測を継続し、巨大ブラックホールの活動性やジェットの謎を解明していきたいと考えています」とコメントしています。

この観測成果は、Event Horizon Telescope Science Multi-Wavelength Science Working Group et al. “Broadband Multi-wavelength Properties of M87 During the 2017 Event Horizon Telescope Campaign” として、2021 年 4 月 14 日発行の天体物理学専門誌「アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ」に掲載されました。



表:今回の観測に参加した 19 の望遠鏡とシミュレーションで参加した「アテルイⅡ」(クレジット:国立天文台)

この研究は、文部科学省/日本学術振興会科学研究費補助金(18KK0090、JP18K13594、JP18K03656、JP18H03721、18K03709、18H01245、25120007、JP17J08829、JP19H01943、JP19H01908、JP19H01906、JP19K14761)、自然科学研究機構、東レ科学振興会、三菱財団、文部科学省「富岳」成果創出加速プログラム、ポスト「京」重点課題9「宇宙の基本法則と進化の解明」他の支援を受けて行われました。すべての支援機関については、論文謝辞をご覧ください。


【アテルイⅡの貢献】

国立天文台の天文学専用スーパーコンピュータ「アテルイⅡ」では、様々な波長での複雑な光の伝搬を一般相対論的効果を含めて詳細に解く RAIKOU(来光)コードを用いた光の伝搬シミュレーションが実施されました。RAIKOU コードは精緻な計算を実施するために計算量が膨大となりますが、アテルイⅡではその演算性能を生かしてときには 1000 コア以上の並列計算を実施することで、多くのパラメータで結果を検証することができました。特に今回の同時観測データの放射スペクトルは、これまでにないほど観測のデータ点が豊富であり電波やガンマ線のみならず可視光やX線の観測データと矛盾しない理論スペクトルを計算していく上で、アテルイⅡの高い計算能力は大きな助けとなりました。

アテルイⅡによるシミュレーションを実施した東京大学宇宙線研究所の川島朋尚 研究員は「今回の研究から、電波からガンマ線までの同時観測データを全て説明するためには、ジェットやブラックホールに落下するガス流の構造、そして一般相対性理論などの詳細な物理プロセスを取り入れた計算が必要なことがわかりました。私たちが開発する光の伝搬シミュレーション・コードではこれらの効果を取り扱う計算が可能であり、今後、ブラックホールへのガスの流れやジェットが時間とともに変化する効果も取り入れて、アテルイⅡや富岳を用いた大規模シミュレーションを実施する予定です。世界中でこの分野の研究が精力的に実施され、未だ謎となっている巨大ブラックホールの時空構造やジェットの噴出メカニズムの解明にまた一歩迫れることが期待されます」と述べています.



図3:19 の望遠鏡による観測データ(赤、グレーのシンボル)と、理論計算・シミュレーションの結果(青、緑の実線)。横軸は観測波長・周波数、縦軸は波長ごとの電磁波のエネルギーを表す。理論計算・シミュレーションでは共にシンプルな球状プラズマを仮定し、その中で電子が運動することで放射される電磁波のエネルギーを計算している。青い実線は工学院大学の紀 基樹 氏による理論計算で、電磁波放射による電子エネルギーの減少を考慮した計算である。緑は東京大学の川島 朋尚 氏がスーパーコンピュータ「アテルイⅡ」を用いて行ったシミュレーションで、より多くのガンマ線を出させるために可能な限り多くの高エネルギー電子の存在を仮定した計算結果である。観測とシミュレーションの比較から、電波の明るさを再現しようとするとガンマ線の明るさが不足することがわかった。このことから、ガンマ線は EHT で観測されたリング状の構造とは異なる場所で発生している可能性が高いことが明らかになった。(クレジット:The EHT Multi-wavelength Science Working Group)

【論文について】

タイトル:Broadband Multi-wavelength Properties of M87 During the 2017 Event Horizon Telescope Campaign
著者:Event Horizon Telescope Science Multi-Wavelength Science Working Group et al.
掲載誌: Astrophysical Journal Letters
DOI: 10.3847/2041-8213/abef71

【本研究で使用されたスーパーコンピュータについて】

川島氏が行ったシミュレーションには国立天文台のスーパーコンピュータ「アテルイⅡ」が使用されました.アテルイⅡは,2018年6月からアテルイの後継機として同じく水沢キャンパスで運用されているシステムで,理論演算性能は 3.087 Pflops をほこります.(クレジット:国立天文台)

【画像の利用について】

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