Date: Thu, 22 Jan 2009 22:23:44 +0900
Subject: Re: 雑誌『科学』から原稿依頼【猿山@岩波】

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## 「科学」 1 ページ = 22文字×40行×2列 = 1760文字。2 ページだと 3520 文字
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ケプラーの法則から四百年 (仮題)

伊藤孝士

 ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが現在で
はその名を冠して「ケプラーの法則」と称される
法則群の一番目と二番目を発表してから、本年 (
2009年) はちょうど四百年目に当たると言う。ケ
プラーの法則は惑星のように太陽の周りを巡る天
体運動の特性を表現したもので、以下の三つの法
則から成る。第一法則:惑星は太陽を焦点のひと
つとする楕円軌道上を運行する。第二法則:惑星
と太陽を結ぶ線分が単位時間に掃く面積 (面積速
度) は軌道上のどの場所でも一定である。第三法
則:各惑星の公転周期の二乗と軌道半長径の三乗
の比は惑星に依らず一定である。これらの法則は
デンマークの天文学者ティコ・ブラーエの詳細な
観測結果を整約する作業の中でケプラーが経験的
に見い出したものであった。太陽と惑星を一組の
質点と看倣し、それらがニュートンの万有引力に
従って互いに引き合う系 (重力二体問題) ではこ
の三法則が厳密に成立する。もちろん二つの天体
が太陽と惑星である必要はなく、太陽と彗星でも
地球と月でも、それらを質点と看倣してしまえば
ケプラーの法則は成り立つ。ケプラーの法則は重
力二体問題を記述する運動方程式の解 (ケプラー
軌道と呼ばれる) を求める過程で自然に導かれる
し、その逆に、ケプラーの法則だけを用いて万有
引力の性質─力の大きさが天体間の距離の二乗に
反比例する─を導くことも可能である。

 ケプラーの第一法則は惑星の軌道が古代より信
じられて来たような円または円の重ね合わせでは
なく、楕円であることを明快に述べている。太陽
が楕円の中心ではなく焦点に位置するという事実
も興味深い。現代の知識から見れば上述した二体
問題の運動方程式を解くことでこの事実は数式の
上ではすぐに示される (初期に与えるエネルギー
によっては軌道は放物線や双曲線にもなり得る)。
但し、惑星軌道が円ではなく「どうして」楕円に
なるのか?という単純な問いに対して直感的な回
答を示すことはさほど容易ではないかもしれない。
この場合、「方程式を解けばそうなるから」では
答えにならない。

 ケプラーの第二法則の記載は三つの法則の中で
もっとも長ったらしいが、現代の物理用語で言
えば角運動量保存則に相当し、ケプラーが言わん
とした所を定性的に記せば次のようになろう:
「惑星は太陽の近くにある時には速く運動し、太
陽から遠ざかるとその運動は遅くなる。」大雑把
に言えばその原因は、太陽から惑星が受ける力 (
加速度) が太陽に近いほど強いからである。地球
のように軌道が真円に近い天体ではその違いは顕
著ではないが、細長い楕円軌道を持つ彗星などは
その大半の時間を太陽からもっとも遠い地点 (遠
日点) 付近で過ごす。そうした天体も時折り太陽
の近くに回帰して私達にその姿を見せるが、ケプ
ラーの第二法則が述べる通り太陽近傍 (近日点付
近) での速度は大きく、滞在時間は短く、私達の
目の前をあっと言う間に通り過ぎて再び遠日点付
近への長い旅路に着く。

 ちょうど四百年前に発表されたケプラーの第一・
第二法則はニュートン力学の美しい帰結のひとつ
であり、実用性と言うよりは宇宙の秩序を端的に
表す象徴という意味合いを強く持つものであろう。
一方、ケプラーの三種の法則のうち現在の天文学
研究の現場でもっとも実用性が高いのは、第一・
第二法則よりもしばらく後に発表された第三法則
だと思われる。現役の天文学者に「ケプラーの法
則とは何であるか述べよ」と尋ねてみれば、大半
が最初に第三法則を思い浮かべるのではないか。
もしかすると第一法則と第二法則については
記憶が怪しく、どんな法則だっけ?と首をかしげ
る者すら多いかもしれない。第三法則の記述に現
れる軌道半長径とは、惑星の軌道を表す楕円の長
径の半分である。これの三乗と惑星の公転周期の
二乗が比例するのだから、要するに第三法則は惑
星の軌道が大きければ惑星がそこを一周するのに
要する時間が長くなることを示している。定性的
には第二法則と似たような事実を意味するとも言
えるこの法則はしかし、その数学的表現が極めて
単純であることから、現代の天文学に於いても重
用されている。惑星の軌道半長径を a, 公転角速
度の平均値を n (= 2π/公転周期), 太陽の質量を
M,惑星の質量を m, 万有引力定数を G とすると、
ケプラーの第三法則の表現はわずかに以下である:
n^2 a^3 = G (M+m) . 一般に惑星の質量は太陽の
質量に比べてとても小さい (M≫m) ので G(M+m)
〜 GM と看倣しても良く、これより n^2 a^3 が
惑星の種類に依らない定数であるという、ケプラー
が著した通りの第三法則が現れる。

 惑星の質量が太陽の質量に比べてとても小さい、
言葉を変えれば太陽重力に比べてそれ以外の天体
間に働く重力が小さいと言うことは、太陽系天
体の軌道運動に関してケプラーの法則がいつも高
い精度で成立することを意味する。これがために
私達はケプラーの法則を安心して普段の研究に使
うことが出来る。私達が生きているような時間ス
ケールでは惑星の軌道が大きく変わることもなく、
理科年表に記載された地球の軌道要素は昨年も今
年も来年もほとんど違わない。流星群は毎年同じ
ような時期に発生し、火星は二年二ヶ月弱の周期
で確実に地球に接近し、周期彗星は高い確率で一
公転周期の後には再び私達の前に出現する。既に
四十万個以上が発見されている小惑星も、その大
半は各々のケプラー軌道に沿って整然とした運動
を続ける。無論のこと長い時間スケールで見れば
天体運動のケプラーの法則からのずれ、つまり太
陽重力以外の微弱な力こそが太陽系の進化の原動
力であり、46億年前に存在した塵とガスの混合物
を現在の太陽系にまで至らしめた要因であること
は今や学界の常識である。けれどもひとたび惑星
が完成し、惑星間空間がほぼ空になってしまった
現在の太陽系は再び太陽重力の支配する世界とな
り、そこではケプラーの法則の成立は安泰である。
そしてケプラーの法則は私達の太陽系ばかりでは
なく、この宇宙一般に於いて重い天体の周りを軽
い天体が周回する場所の大半で成り立っているは
ずである。例えば昨今では太陽系以外の惑星系の
発見が相次いでおり、2009年 1月現在で既に三百
個以上の太陽系外惑星系が確認されている。その
ほとんどは視線速度法 (ドップラー偏移法) と呼
ばれる方法で発見されているが、これは観測者に
対する恒星の視線方向速度の変化を高精度の分光
観測で検出する方法である。惑星を持つ恒星をこ
の方法で観測した時に真っ先に判明するのは、惑
星運動の反作用として動き回る恒星の視線速度の
周期変動である。その周期は惑星の公転周期を反
映し、それがケプラーの第三法則を介して惑星の
軌道半長径に焼き直される。これなどは、四百年
前に経験的に見い出されたケプラーの法則が現代
でも研究現場の最前線で活用されている典型的な
例と言えよう。

 本稿の最後に、ヨハネス・ケプラーの名を冠し
た今一つの概念について触れておく。それは「ケ
プラー方程式」と呼ばれるものであり、ケプラー
の法則とも密接に関連する方程式である。ケプラー
方程式は u - e sin u = l という極めて単純な形
をしている。e は惑星軌道の離心率 (円軌道から
のずれを表す量) 、u は軌道上の惑星位置を幾何
学的に表す角度のひとつ (離心近点離角) 、l は
時刻に比例する変数 (平均近点離角) である。ケ
プラー方程式はある時刻(l)を与えてその時の惑星
の位置(u)を u = u(l) の形で得るための方程式で
ある。ケプラーの法則は惑星運動が持つ一般的な
性質を概ね記述してはいるものの、ケプラーの法
則のみを使って特定の時刻に惑星が軌道上のどの
位置にいるのかを計算できるわけではない。だが
こうした計算が可能にならなければ、天体の軌道
運動を予測するような理論的な研究のみならず、
目的となる天体を確実に視野に捉える必要のある
観測的研究も成立しない。その意味でケプラー方
程式は惑星のみならず彗星や小惑星といった小天
体や人工衛星など、およそ軌道運動というものを
行う天体の力学に関するあらゆる局面に登場する。
それほどまでに重要であり、ケプラーの法則と同
様にヨハネス・ケプラーの名を冠しているにも関
わらず、ケプラー方程式の知名度は高いとは言え
ない。その理由のひとつは、ニュートン力学体系
の見事な発現とも言えるケプラーの法則と比べて、
天体の具体的な軌道位置を確定するという目的を
負ったケプラー方程式はやや実際的な側面が強す
ぎ、一般的な物理教育では例題として扱いにくい
という事情があるのかもしれない。もう一つの理
由は、ケプラー方程式が解析的な解を持たないい
わゆる超越方程式に分類されることであろう。ケ
プラー方程式の解 u(l) を得るにはベッセル関数
など特殊関数の世話になるか、そうでなければニュ
ートン法などの数値的な方法を使う必要があり、
努力すればいつかは単純な解に辿り着くという類
のものではない。ケプラー方程式の解法に関する
研究は基礎天文学の中でも独特の地位を保ってお
り、これに関する書籍や論文は21世紀の現代でも
続々と発表されている。計算機による数値解法が
発達した現在ではケプラー方程式研究の勢いは更
に増しているようにすら思える。

 現代天文学の最先端に於いてもケプラーの法則
やケプラー方程式が頻繁に現れる状況を目にする
時、この四百年という時間の中で人間が為し遂げ
たことと為し遂げなかったことに思いを馳せる研
究者は少なくないだろう。そう思うと今から四百
年後の世界でケプラーの法則やケプラー方程式が
どのような学術的地位を占めているのかについて、
興味と想像は尽きることが無い。