月のクレーターと小惑星 (平成18年9月21日版) ■ アブストラクト 太古の昔から人間にとって最も身近な 天体のひとつである月はその起源や進 化についてまだ多くの謎を秘めており、 惑星科学に於ける研究対象として重要 な存在である。月を良く知ることは地 球や太陽系全体の歴史を良く知ること に直結する。本稿では月面のクレーター に着目し、そのサイズ分布から推定さ れる衝突天体の起源と衝突時期、そし て主な衝突天体であったと思われる小 惑星との関連について、現在の知見を 簡単に概観する。 ■ 太陽系の歴史と衝突現象  太陽系の歴史は衝突の歴史である。 その初期に微小な塵が衝突を繰り返し、 微惑星と呼ばれる天体へ成長すること から本格的な惑星の形成が始まった。 原始の地球と火星大の天体が衝突して 月が作られたとする推測は今や仮説で はなく定説である。現在の太陽系でも 彗星や小惑星は頻繁に惑星に接近し、 時には衝突して惨事を持たらしている。 6500万年前に発生した恐竜絶滅事件の ような生物の大量絶滅には天体衝突が 大きな役割を果たして来たと思われて いるし、最近では一個の彗星が三十個 近くの破片に分裂して一斉に木星へと 突入したShoemaker-Levy第9彗星(1994 年7月)が記憶に新しい。  恐竜絶滅事件ほど大規模なものでな ければ、天体の衝突は私達の周囲で今 も頻繁に生じている。夜空に明るい軌 跡を残す火球や定期的に発生する流星 群は小さな天体が地球の大気圏に突入 した際に見せる最後の輝きであり、衝 突現象の一種である。時には大気中で 燃え尽きなかった天体が地上まで到達 し、隕石として私達の前に姿を現す。 天体が更に大きければその衝突時には 明確な痕跡を地上に残す。それがクレー ターである。クレーターは地球のみな らず太陽系の多くの天体に夥しい数で 存在している。クレーターには数十億 年前のものあればごく最近できたと思 われるものもあるし、直径1000 km以 上の巨大なものもあれば顕微鏡が必要 な直径1μm以下のものもある。こうし た様々なクレーターの研究は衝突現象 の研究であると同時に衝突天体や被衝 突天体の歴史を研究することでもあり、 その重要性は長きにわたり研究者の人 口に膾炙して来た。 ■ クレーターとその形成過程  月面にあるクレーター(図1)を最初 に見い出したのはかのガリレオ・ガリ レイだとされる。彼は17世紀初頭に手 製の望遠鏡を用いて起伏に富んだ月の 地形を見出し、詳細なスケッチを残し た。ガリレオはこの地形にギリシャ語 で「コップ」「お碗」という意味の名 を与えた。これが「クレーター」の語 源と言われる。ちなみに日本で春から 夏にかけて見られる星座「コップ座」 の正式学名は"Crater"である。  ガリレオ以来多くの天文学者が月の 地形に注目して望遠鏡を向け始め、20 世紀中盤には精密な月面地形図が作ら れるようになった。1960年代になりル ナ(旧ソ連)やアポロ(米国)などの月探 査船が打ち上げられると、クレーター に関する知識はどんどん増えて行く。 クレーターの成因についてはガリレオ 以来長く火山爆発説派と天体衝突説派 の間で論争が続いていたが、1960年代 になると地球上のクレーターから天体 衝突起源と思われる高温・高圧変成を 受けた鉱物が発見されるようになり、 同様な鉱物は月探査船により採取され たクレーター周辺の岩石からも検出さ れた。現在では太陽系天体に見られる クレーターのほとんどが天体衝突によ り形成したと考えられており、この認 識を疑う人は稀である。  天体衝突によってクレーターが掘削 されるのは瞬時の現象である。直径1km 程度のクレーターであればその基本 構造はものの数秒で作られる。しかし その瞬時に生起する物理現象は単純で はない。大雑把に言って、クレーター 形成過程は圧縮・掘削・変形の三段階 に分けられる(文献1,2)(図2)。天体が 高速で地表に到達すると衝突点で強い 圧縮が発生し、衝撃波が生じる。これ が圧縮段階の始まりである。この時点 で発生する圧力は一般に岩石の破壊強 度よりもはるか大きいので、衝突点の 周囲では岩石は流体のように振る舞う。  衝突点直下で発生した衝撃波は弾丸 の下方および周囲へ広がりつつ伝播す るが、波の形が球面に近いため、衝突 点の上側へも伝播することが重要であ る。上側へ広がった衝撃波は地表に達 するとそこで反射し、今度は媒質の圧 力を減ずる「希薄波」となって上方か ら下方へ伝わる。ここから先が掘削段 階と呼ばれ、希薄波が媒質内を伝播し つつ媒質を掘削する過程である。  掘削段階では、希薄波が到達した地 点の標的媒質が(衝突地点の直下部分 を除き)上方・外側へと加速度を受け、 やがて地表から飛び出して行く。こう した標的媒質の運動は時に「掘削流」 と呼ばれ、クレーター形成の最も重要 なプロセスである。この過程の存在に より、衝突天体より何倍も大きなサイ ズのクレーターが形成される。  掘削段階直後のクレーターは遷移ク レーターと呼ばれる。遷移クレーター は天体衝突の直後から様々な過程によ り形を変え、最終的に私達が目にする ような形状に落ち着く。この過程が変 形段階である。できたての遷移クレー ターは一般に底が深く、内部側面の壁 が崩れて底が埋まりやすい。この「土 砂崩れ」は遷移クレーターが形成して から比較的短い時間内に発生し得る。 更に時間が経過すると浸食・風化作用 によりクレーターの縁の部分などが削 られ、クレーターは更に浅くなる。大 きなクレーターであれば地殻平衡の影 響により底が次第に盛り上がって来る ことがあるし、極めて大きなクレーター はその底部で火山活動を誘発し、溶岩 が噴き出してクレーターを埋めてしま うことすらある。これは実際に月面で 生じて来た現象である。  クレーターの形成過程については室 内での衝突実験や計算機内での数値実 験、理論的な方法などにより多くの研 究が行われてきた。その帰結のひとつ にクレーター形成のスケーリング則が ある。天体衝突により形成されるクレー ターの大きさは衝突天体の大きさや速 度のみならず、衝突天体の物性、衝突 時の角度、標的天体の物性や重力加速 度などにも依存する。こうした各種物 理量に関するクレーターサイズの依存 性を理論的・実験的に定式化し、(半 経験的な)法則の集合体を得ることが スケーリング則構築の目的である。ス ケーリング則にも幾つかの種類がある が、典型的な一例による結果を図3に 示した(文献2)。スケーリング則は本 稿の後半でクレーターのサイズ分布か ら衝突天体のサイズ分布を推定する際 にも必要となる。 ■ クレーターのサイズ分布  クレーターはガス惑星を除く太陽系 天体のほぼ全てで観察される。水星、 金星、地球・月、火星という地球型惑 星のみならず、木星や土星の衛星や小 惑星などにもクレーターは普遍的に見 られる。地球や金星のように地表での 風化浸食作用が激しい天体ではクレー ターは次第に削られ消失するので、古 い時代の衝突履歴を知る手掛りとして クレーターは有用でない。しかし水星 のように大気や海がない天体では古い クレーターも良い状態で保存され、そ の天体への衝突史を雄弁に物語る。火 星などはその中間であり、北半球には 新しいクレーターしか残っていないも のの、南半球には古いクレーターを保 持する地域が広く存在する。太陽系の 各天体へは今後も多くの探査機が訪れ る予定なので、クレーターに関する情 報量は飛躍的に増して行くだろう。  こうした天体のうち古いクレーター を最良の状態で保存しており、またそ の情報を私達が最も良く知っているの は、地球の隣にある月である。月には 大気も海もなく、地表での風化浸食作 用は極小である。火山活動も大昔に終 息してしまったため、月面には太陽系 初期からの天体衝突の痕跡が克明に記 録されている。地球の最近傍にあり、 人類が直接訪れたことすらある月がク レーターの保存状態に関して最良であ るという事実は、太陽系研究にとって は誠に僥倖だったと言えるだろう。  夜空に浮かぶ月を眺めると黒っぽい 部分と白っぽい部分が存在することは 肉眼でもわかる。黒い部分は海と呼ば れる平坦でクレーターの少ない地域で あり(図4(a))、月の表面積の二割弱を 占める。海は元々、大きな天体衝突に より作られた盆地状の地形だったと予 想されている。それが約38億年前以降 に内部から流出した低粘性の玄武岩質 溶岩により埋められて平滑化され、か つてそこにあったクレーターもかき消 されてしまった。一方肉眼で白く見え るのは主として斜長石から成る地殻で あり、高地と呼ばれている(図4(b))。 高地は夥しい数のクレーターで埋め尽 くされており、平均的なクレーターの 個数密度は海の百倍以上に達する。高 地は月の歴史の初期からのクレーター を保存しているので、必然的にその個 数密度が高いと理解される。  月の高地と海のクレーターの違いは その個数密度だけではない。両者に於 けるクレーターのサイズ分布も質的に 異なっている。サイズ分布の表現方法 には様々なものがあるが、本稿では一 貫して「Rプロット」を用いる(文献3)。 真の原因は未だに詳らかでないが、月 などのクレーターや小天体のサイズ分 布は直径の-3±1乗程度に比例するこ とが経験的に知られている。従ってク レーターや小天体のサイズ分布を表現 する際には頻度分布を直径の-3乗で規 格化し、そこからのずれを測定する手 法がよく用いられ、Rプロットと呼ば れる (Rは"relative"の頭文字)。この 表現だと直径の-3乗に比例する分布は グラフ上で水平な直線になる。  Rプロットを用いて月の高地と海の クレーターのサイズ分布を表現したの が図5(a)である。高地のクレーターの R値(縦軸)が海のクレーターのR値に比 べてかなり大きいが、これは高地のク レーターの個数密度が海よりもずっと 大きいという事実を意味する。更に重 要な点は、R曲線(R値を示す曲線)の形 状が高地と海ではかなり異なることで ある。海のクレーターは高地のクレー ターに比べて新しく、また年代の幅も 広いのだが、そのR曲線は水平に近く、 直径の-3乗に近いサイズ分布を有する。 この水平に近いR曲線の傾向はClass 1 クレーターと呼ばれる新鮮で輪郭がま だ明瞭なクレーター群に於いても同様 である。これに対して高地クレーター のR曲線は大きく波打っており、直径 約10 kmの領域から数100 kmの領域に 至るにつれてサイズ分布の羃乗指数は 大きく変化する。  こうした波打つR曲線を持つのは月 の古いクレーターだけではない。水星 や火星上で最も古い時代の情報を残す 地域、いわゆる高地にあるクレーター のサイズ分布はこうした波打つR曲線 に特徴付けられる(図5(b,c))。一方、 火星の北半球平原のように新しい地域 にあるクレーターのサイズ分布は、月 の海やClass 1クレーターのR曲線と同 様にほぼ水平であり、高地クレーター のそれとは異なる(図5(c))。金星や地 球にあるクレーターは風化浸食を激し く受けているのでこうした統計的議論 には使えないが(図5(d))、地球型惑星 のクレーターのサイズ分布がこのよう に二種類のサイズ分布を持ち、それら が古いクレーターと新しいクレーター に各々きれいに対応するという事実は 特筆されるべきである(文献4)。 ■ クレーター年代学と後期重爆撃期  上ではクレーターが「古い」「新し い」という表現を用いたが、太陽系天 体で放射性同位元素を用いたクレーター 形成の絶対年代推定がなされているの は地球と月だけである。その他の惑星 や、月でも試料が採取されていない地 域については、絶対年代がわかってい る月のクレーター個数密度を基準とし て相対的に地域の新旧を判定する。月 のクレーター密度と絶対年代の関係を 詳しく調べてみると、クレーターの生 成率は時間的に一定ではなく、例えば 約40億年前のクレーター生成率は現在 に比べて百倍以上もあり、それから急 激に低下したことが判明している。月 のクレーター密度とその地域の年代の 関係をこのように求めておけば、それ を他の天体に適用することで、試料が 直接採取されていない地域や未踏の天 体についてもクレーターの個数密度か ら大雑把な年代推定が可能になる。こ の方法は1960年代の月探査計画以降に 確立されたものであり、クレーター年 代学と呼ばれている(文献1)。  約46-45億年前の惑星形成期には現 在よりも遙かに多くの小天体が太陽系 内を飛び交っており、それらは惑星や 太陽に衝突したり、太陽系外に弾き飛 ばされたりして数を減じて来ただろう。 従って古い時代ほどクレーター生成率 が高いという推定は妥当に見える。し かし月へ落下して来た天体の量(頻度) と落下年代を調べると、惑星形成期か ら数億年の後、つまり約40-39億年前 に天体衝突頻度が再び極大になった形 跡が見られる。月探査船が持ち帰った 岩石の形成年代を測定してみると、天 体衝突の衝撃を受けたと思われる岩石 の年代はほぼ例外なく約40-39億年前 という値を示し、それより古いものは 稀なのである。この事実は月面から採 取した岩石のみならず、月から地球に 飛来したと思われる隕石についても言 えることが後に判明した(文献8,9)。 こうしたデータのもっとも単純な解釈 はこうである。「約40-39億年前に突 発的で激しい天体の落下時期があり、 月面の年代を一様にリセットしてしまっ た」。この濃密な天体落下の時代は約 46-45億年前の惑星形成期よりもずっ と後であることから「後期重爆撃期」 と名付けられ、その継続時期は数千万 年、長くて二億年とされる(文献6,7)。  だが後期重爆撃期の存在を示唆する データの解釈については長いこと紛糾 が続いている。「試料採取地点には偏 りがあり、統計が不十分である」「こ の結果は40億年前より更に昔にもっと 激しい天体衝突が無かったことを保証 はしない」などの反対意見は根強く、 それらを完全に否定することもまた難 しい。それ故に後期重爆撃期の存在は 定説とまではまだ言えず、仮説の領域 にある。最近では月のみならず小惑星 帯や火星表面でもこの時期に天体衝突 頻度の増大があったことを示すデータ が報告されているが(文献10,11)、後期 重爆撃期の存在を肯定または否定する 決定的証拠までには至っていない。 こうした混迷の中で私達が取るべき 道のひとつは、後期重爆撃という現象 がそもそも物理的に発生可能だったの かを検証することである。本稿の後半 で私達は後期重爆撃期が存在したとい う立場に立ち、その発生原因、つまり どのような天体がどのような要因によ り短期集中的にクレーターを作り得た のかを考えたい。ここでも再びサイズ 分布が謎を解く鍵になる。 ■ クレーターのサイズ分布と小惑星  約40億年前に後期重爆撃期を引き起 こした天体が太陽系内のどこからやっ て来たのかを知るのは簡単ではない。 私達はクレーターを作る衝突天体候補 (いわゆる小天体)の現在の分布につい ては多少知っているが、40億年前にそ れがどうであったかを容易に知る術は ない。必然的に、私達の出発点は現在 の太陽系小天体となる。  現在の太陽系で惑星への衝突天体を 供給しているのは主として三種類の小 天体群である。まず海王星軌道より遠 方に存在する TNO (transneptunian objects. カイパーベルト天体とも呼 ばれる)があり、これは軌道傾斜角が 小さな彗星の出発地であると思われて いる。次に太陽系の最外縁部、太陽か らの距離にして数万から数十万天文単 位の彼方に広がるオールト雲を構成す る天体がある (但しオールト雲天体は まだ一個も観測されていない)。これ は軌道傾斜角が大きくて非常に遠方か らやって来る彗星の出発地であると考 えられている。三番目が小惑星であり、 木星軌道以近の広い範囲に分布する。 木星と火星の間にあるメインベルト小 惑星、木星と軌道を共有するトロヤ群、 地球軌道の内側にも入り込む近地球小 惑星、などである(図6)。  クレーター形成との関連で私達が特 に得たい情報はこうした天体の大きさ (サイズ)の分布であるが、その推定は 簡単ではない。太陽系の小天体は太陽 光を反射して輝いており、通常の観測 ではその明るさのみが測定される。小 天体の明るさからその大きさを推定す るためにはその天体の太陽光反射率を 知る必要があるが、これが容易にはわ からないのである。現物が一個も見付 かっていないオールト雲天体はもちろ んだが、TNOについても反射率がきち んと求められた天体は極めて少なく、 従ってサイズ分布の統計には大きな不 確定性がある。その一方、小惑星につ いては長年の観測データの蓄積により 比較的良い精度で反射率を推定する方 法が知られており、TNOらと比べれば サイズ分布の統計も信頼に足る水準に ある。最近では小惑星らの観測に特化 した望遠鏡や観測計画が各国で動いて おり、サイズが推定された小惑星数は 順調に増加している。また、小惑星に 関しては軌道の分布もTNOなどに比べ て良くわかっている(図6上)。  以上の理由により、本稿では太陽系 小天体の中でも特に小惑星のサイズ分 布をクレーターのサイズ分布と比較し てみたい。但しこの両者は直接には比 較できないので、前述したスケーリン グ則の登場となる。スケーリング則の 適用に必要となる入力値、例えば衝突 天体の密度などは現在の岩石的な小惑 星のものを仮定する。衝突天体の速度 や角度の分布は天体の軌道運動の方程 式を数値的に解いて求める(文献12)。  こうした作業の結果得られた衝突天 体のサイズ分布と現在の小惑星のサイ ズ分布を比較したのが図7である。こ れを見ると、月の古いクレーターを作っ た衝突天体のサイズ分布が直径約0.3 kmから約30kmにわたり現在のメインベ ルト小惑星のそれと大変良く似ている ことが見て取れる(図7(a,b,c))。その 一方で火星の北半球に見られるような 新しいクレーターを作った衝突天体は、 メインベルトではなく近地球小惑星に 良く似たサイズ分布を持つ(図7(d))。 クレーターのサイズ分布に二群性が存 在することは先に見た通りだが、小惑 星のサイズ分布にもやはり二群性があ り、しかも両者がスケーリング則(図3) を通してとても良い一致を見せること は極めて興味深い。 ■ 後期重爆撃期発生の原因  こうして明らかになったクレーター と小惑星のサイズ分布の二群性、およ びクレーターを作った衝突天体と小惑 星のサイズ分布の比較から、以下の事 柄が推察できる。まずサイズ分布の良 い一致から、後期重爆撃期にクレーター を作った衝突天体はメインベルト領域 にあった小惑星であり、それを輸送し た力学過程は天体の大きさに依存しな い(サイズ分布を保存する)ものであっ たことが推定される。しかもこの機構 はおそらく数千万年程度しか継続しな かったらしい(文献6,7)。  このような機構の候補として現在有 力なものは、何らかの原因で木星や土 星ら大型惑星の軌道が拡大または縮小 し、それに伴ってメインベルト内の共 鳴帯が大きく動いたというものである。 メインベルト小惑星の軌道半長径分布 (図6下)を見ると、所々に小惑星が存 在せず空隙を形成している領域がある。 これらの多くは小惑星と大型惑星の公 転周期が尽数関係を構成する場所であ る。例えば木星が一公転する間に小惑 星が三公転する状況は「1:3の平均運 動共鳴」と呼ばれる。一般の物理現象 に於ける共鳴と不安定の関係と同様に、 共鳴帯にある小惑星は短い時間で大き く軌道を変え、やがて惑星との遭遇や 衝突を生じて元来の位置から取り去ら れるので、そこに空隙が形成される。 共鳴帯の配置は木星など大型惑星の軌 道配置が決めるので、惑星の軌道が変 われば共鳴帯の位置もそれに従って変 わる。よって惑星の軌道が拡大または 縮小することで共鳴帯が動けば、メイ ンベルトにある小惑星の多くは共鳴に よる軌道不安定状態に入り、やがては 月や地球に衝突する運命を辿るであろ う。木星などの質量は小惑星に比べて とても大きいため、共鳴現象に起因す る小惑星の力学的挙動はその質量(サ イズ)にほとんど依存しない。メイン ベルトにある天体とクレーターを作っ た衝突天体のサイズ分布が複写された かの如く似通っている事実(図7)がこ れで良く説明される。  この仮説に関しては最近活発な数値 モデル研究が行われているので、以下 ではその一例を紹介する(文献18,19)。 まず、木星・土星・海王星・天王星と いう大型惑星の軌道間隔が、それらが 形成した約46-45億年前は現在よりか なり狭かったと仮定しよう。とりわけ 土星が木星との1:2平均運動共鳴(土星 が一公転する間に木星が二公転する尽 数関係による共鳴)の位置よりもわず かに内側で形成した仮定することが重 要である(現在の土星はこの位置より ずっと外側にある)。こうした仮定は 現在の惑星形成論の知見と特に矛盾は しない。惑星が形成した直後には、ま だ多くの微惑星(惑星の前駆天体)が惑 星の周辺を飛び交っていただろう。微 惑星群の軌道と質量の分布によっては、 惑星と微惑星群の重力相互作用により 惑星の軌道が徐々に拡大(あるいは縮 小)を続けることは力学的にあり得る。 この現象によりもしも土星軌道が徐々 に拡大し、数億年を経て木星との1:2 平均運動共鳴の領域に到達したならば、 共鳴の効果によって土星軌道の離心率 は上昇し、木星や天王星・海王星との 遭遇が発生し得る。そうすればこれら 惑星の軌道配置が短時間で大きく変化 し、今度は小惑星領域にある共鳴帯の 位置を変えるだろう。こうして誘発さ れた小天体の大量落下こそが後期重爆 撃期であると理解される。  この説は後期重爆撃期の発生機構と 発生時期をうまい具合に説明できるの だが、本稿の立場である「後期重爆撃 期に月や地球に落下した天体はメイン ベルト小惑星である」という主張とは 矛盾した結論にも到達し得る。土星な どの軌道拡大・縮小を引き起こす微惑 星がいたとすれば、それらは太陽から 遠方にあるから彗星のような氷天体だっ たろう。大型惑星の軌道が動けばその 反作用を受けてそうした彗星的微惑星 の多くも内側に落下し、月面でのクレー ター形成に寄与し得る。こうした彗星 的天体はメインベルト小惑星とは組成 も密度も異なるし、サイズ分布が同じ である保証もない。  後期重爆撃期に関してこうした彗星 的天体とメインベルト小惑星の寄与の いずれが大きかったかは、その当時メ インベルトに存在した小惑星天体の量 に依存しており、現時点では不明であ る。ひとつの手掛りは、こうした彗星 的微惑星がこの時期に木星軌道に捕わ れて現在に至った存在と考えられるト ロヤ群天体のサイズ分布である(文献20)。 これが後期重爆撃期のクレーター衝突 天体のサイズ分布と良く似ていれば衝 突天体は氷微惑星、つまり彗星的天体 と言うことになろう。だが現在の観測 によれば、トロヤ群天体のサイズ分布 はメインベルト小惑星のそれとは明確 に異なっているように見える(文献21)。 このことだけで後期重爆撃期の彗星衝 突説を完全に退けることは出来ないが、 メインベルト天体の大量落下という事 態を第一の作業仮説として後期重爆撃 期に関する研究を進めることの意義は 当面揺るがないものと思われる。  図7に示されたサイズ分布の比較か らは興味深い事柄がまだ幾つも読み取 れる。後期重爆撃期以降に作られた新 しいクレーター衝突天体の力学的起源 (後期重爆撃期のそれとは明らかに異 なる)や、メインベルト小惑星の相互 衝突頻度の低さなどである(文献5,22)。 かくしてその長い歴史にも関わらずク レーター研究の意義は今後更に深まり、 クレーターが提供する謎とそこに潜む 数多くの新事実に私達はますます魅了 されて行くであろう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 参考文献 1) 水谷仁: クレーターの科学, 東京大学出版会, 1980. 2) H.J.Melosh: Impact Cratering, Oxford Univ. Press, New York, 1989. 3) Crater analysis techniques working group: Icarus 37, 467 (1979). 4) R.G.Strom et al.: Science 309, 1847 (2005). 5) T.Ito et al.: in Advances in Geosciences, v.3, 337, World Scientific (2006). 6) F.Tera et al.: Earth Planet. Sci. Lett. 22, 1 (1974). 7) G.Ryder: Eos 71, 313 (1990). 8) B.A.Cohen et al.: Science 290, 1754 (2000). 9) I.Daubar et al.: Meteor. Planet. Sci. 37, 1797 (2002). 10) D.D.Bogard: Meteoritics 30, 244 (1995). 11) D.A.Kring, B.A.Cohen: J. Geophys. Res. 107, 4 (2002). 12) T.Ito, R.Malhotra: Adv. Space Res. in press (2006). 13) D.L.Matson et al.: Adv. Space Res. 6, no.7, 47 (1986). 14) R.Jedicke, T.S.Metcalfe: Icarus 131, 245 (1998). 15) Z.Ivezic et al.: Astron. J. 122, 2749 (2001). 16) F.Yoshida et al.: Publ. Astron. Soc. Japan 55, 701 (2003). 17) J.S.Stuart, R.P.Binzel: Icarus 170, 295 (2004). 18) K.Tsiganis et al.: Nature 435, 459 (2005). 19) R.Gomes et al.: Nature 435, 466 (2005). 20) A.Morbidelli et al.: Nature 435, 462 (2005) 21) F.Yoshida, T.Nakamura: Astron. J. 130, 2900 (2005). 22) http://www.cc.nao.ac.jp/~tito/press/20050915/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 図キャプションと出典 □ 図1 月の裏側のクレーター。1969年5月のアポロ10号乗組員による撮影。 東経162度、南緯10度付近の様子で、Keeler(右上), Stratton(左下)といった クレーターが鮮明である。NASA提供。 □ 図2 クレーター形成過程の模式図。天体の衝突点直下では強い圧縮が発生し、衝撃波が 生じる(a,b; 圧縮段階)。衝撃波の一部が地表に達するとそこで反射し、今度は 媒質の圧力を減ずる希薄波となって媒質中を伝わる(c)。このとき標的媒質の一部は 上方・外側への加速度(掘削流)を受けてイジェクタとして地表から飛び出し、 遷移クレーターを形成する(d)。遷移クレーターはその後に様々な変形段階を経て(e)、 最終的に私達が目にするクレーターが出来上がる(f)。 □ 図3 Piスケーリング(文献2)と呼ばれる方法を用いて計算した衝突天体の 直径とクレーター直径の関係の例。標的天体は月面のような岩石質(密度2.7 g/cm^3)を 仮定し、衝突角度は45度としている。図中で「岩石」と記された衝突天体の密度は 3.0 g/cm^3、「氷」と記された衝突天体の密度は1.0 g/cm^3としている。 「月」「水星」「火星」は標的表面での重力加速度としてそれぞれの天体の値を 用いたことを示す。「月 17 km/s」「火星 12 km/s」「水星 32 km/s」はメイン ベルト小惑星が各天体に衝突する際の平均的な速度、 「月 70 km/s」は高速で飛来する長周期逆行彗星のような天体の月への衝突速度の例、 「月 3 km/s」は月に衝突する天体が持ち得る衝突速度の下限値に近い例である。 □ 図4 月の海(a; 1972年のアポロ17号による撮影。表側のImbrium盆地付近)と 高地(b; 1969年のアポロ11号による撮影。裏側のDaedalusクレーター付近)。NASA提供。 □ 図5 各天体にあるクレーターのサイズ分布を表すRプロット(文献5)。 縦軸はクレーター数のマイナス3乗則からのずれ。 (a)月の高地、海、Class 1クレーター、(b)水星の高地クレーター、 (c)火星の高地と北半球平原のクレーター、(d)金星と地球のクレーター。 Rプロットでは通例(a)(b)(c)のように横軸と縦軸のスケールを等しく描くが、 スペースの関係で(d)だけはそうしていない。 また(d)の縦軸の数値が(a)(b)(c)に比べて圧倒的に小さく、地球と金星の クレーターの個数密度が非常に低いことを示す。これはもちろん地表での 風化浸食作用のためである。 □ 図6 上は2006年7月18日現在の小惑星の分布(338151個)。 水星、金星、地球、火星、木星の現在位置と軌道も描画している (水星・金星・地球・火星・木星の軌道半長径はそれぞれ 0.387, 0.723, 1.00, 1.52, 5.20天文単位)。 火星軌道と木星軌道の間にある大量の天体がメインベルト小惑星、 地球軌道近辺まで達している天体が近地球小惑星、太陽-木星を二頂点とする 正三角形の第三の頂点(二箇所ある)付近に散在するのがトロヤ群小惑星である。 下はこうした小惑星の軌道半長径の頻度分布で、グラフ上側の 矢印と"1:3"などの表記は木星との平均運動共鳴の位置を示す。 □ 図7 クレーターを作った衝突天体と現在の小惑星のサイズ分布の比較(文献5)。 (a)(b)(c)は月の古い高地クレーターを作った衝突天体(線で結ばれた+記号)と メインベルト小惑星(■記号)の比較。(a)にはSpacewatch(文献14)、 (b)にはSDSS(文献15)、(c)にはIRAS(文献13)および Subaru(文献16)による観測結果を描画している。 (d)は火星北半球平原の新しいクレーターを作った衝突天体(線で結ばれた+記号) と近地球小惑星(■記号)の比較であり、近地球小惑星のデータはLINEAR計画 (文献17)による。