地球とその上に棲む生物達を一個の巨大な生命体と考える思想に私は特段賛同
しないが、異議を唱えるものでもない。地球も生物も非生物的な環境もみな宇
宙の物理法則に支配されている以上、どれも自然の一部であり、或るいは全部
である。「ガイア」という文字列を目にして私が最初に思い浮かぶのは、ガイ
アなるものが存在すれば、それは宇宙の秩序原理を体現したひとつの象徴であ
ろうということである。もしもガイアが本当にひとつの生命体だすれば、その
一構成部品である人間という種は、ガイアという生命体維持のために如何なる
役目を負った存在であろうか?人類が地上に生まれてから数百万年が経過した。
その間に人類は特異な能力を得て高度な文明を構築して来たが、高度な文明は
人間以外の自然や他の生物を消費し、代わりに大量の排出物を産み出した。人
間のこうした営為は果たしてガイアにとって必然だったのか?もちろん人間も
自然の一部である以上、そのような汚濁をも併わせて飲み込む懐の深さをガイ
アは保有しているはずだと言う考えもあろう。けれども、人類の産み出した混
濁が一旦ガイアの持つ許容量を超えた時、この生命体は自身の中に発生した人
間という種を何らかの秩序原理に照らして排除するかもしれない。その手段は
疫病の蔓延かもしれないし、彗星の大衝突かもしれないし、或るいはもっと些
細でくだらないことかもしれない。とにかく、種としての人間がその完成の域
を過ぎて幕引きの時期へと向かっているという予感は、既に多くの人々が感じ
ている同時代の雰囲気のようなものであろうと思われる。

けれども、人間は滅んでもガイアは滅ぶことはない。恐竜が滅んだ直後から哺
乳類の擡頭が始まったように、人類が滅亡してもガイアは直ちに次の主たる生
物を地上へ送り込むであろう。宇宙に於いて星が生まれ、育ち、次世代の星の
誕生のための材料を撒き散らして死んで行く輪廻があるように、ガイアの上で
生きる生物も輪廻と進化を繰り返す。人類は、ガイアが46億歳の頃に生まれ、
ちょっとだけ発達した文明を持って地上を支配しようとしたひとつの種に過ぎ
ない。「ガイアシンフォニー」という映画は、生まれては死んで行く種のひと
つとしての人間が地球史に於ける自分の位置を確認する作業の一助として、多
くの人々が見て価値のあるものであろうと考える。