% 書評『ニュートンの時計 〜太陽系の中のカオス〜』
% (天文月報 vol.89, p.92, 1996)

  カオスという言葉はまさに現代社会のキーワー
ドのようで、自然科学に限らず至る所で目にする
ようになった。初期状態の僅かな違いが時間の経
過と共に増幅され、その後の振舞いの大きな差異
へと発展するような系をカオス系と呼び、転じて、
変化が激しくて予想不可能な現象や、複雑すぎて
現状の把握が困難であるような状況について、盛
んに「カオスである」という形容がなされるよう
になった。「株価の変動はカオス的だ」「彼の行
動はあまりにカオス的で付いてゆけない」等々。

  自然界で見られるカオスと言えば、気象モデル
に纏わるN.ローレンツの逸話が有名だが、天体力
学の分野では19世紀の終わりに既にポアンカレが
カオス概念の端緒となる研究に先鞭を付けていた。
本書は、いま流行の「惑星運動カオス説」の解説
を中心とし、古代ギリシャの天文学、ティコの観
測とケプラーの法則、それらを統合したニュート
ンの業績、理論的予想が契機となった海王星の発
見(この予想が当たったのはほとんど偶然だった
らしいが)などという、伝統的な天文学の進展を
歴史に沿って追う形式を取っている。現在でも各
種の定理や関数にその名を残すオイラー・ダラン
ベール・ガウスといった稀代の秀才達が、天体の
奇妙な運動を完全に解明すべく悪戦苦闘し、また
自分の業績の効果的な喧伝とライバルへの攻撃に
いかに大きな労力を注いだかに関する詳細な記述
からは、字義通りのインテリたる当時の科学者の
実態を窺い知ることができ、非常に興味深い。

  カオス=滅茶苦茶、というイメージが先行する
現在の常識のもとでは、「惑星の運動がカオス→
いつの日か惑星は無限遠に跳ね飛ばされたり太陽
に落ち込んだりする」という破滅的な連想に走り
がちだが、カオスという語がそこまで短絡的な事
象を意味してはいないという事実には注目を要す
る。実際、惑星の運動がカオスであるという数学
的事実と、過去や未来に惑星系が安定に存在して
いるかどうかという物理的現象論との対応には甚
だ不確定な要素が多く、これに関する本書の言い
回しも極めて歯切れが悪いものとなっている。J.
ラスカルの言葉を借りよう。「(数値計算によれ
ば)惑星の運動はカオス的な状態に近いと結論付
けられるが、『近い』という言葉の正確な意味を
決定するのは、依然として難しい。」

  しかしながら、太陽系の具体的な過去の姿を知
ろうとする研究者(私もそう)にとっては、惑星運
動がカオスであろうとなかろうと、実際に起こっ
て来たはずの一意唯一の歴史を知ることだけが重
要なのだから、本書の主要部分たる数理的カオス
の解説は若干退屈に感じられる。それよりも前半
部分、天文学史上の偉人達に関する仔細な描写の
方が遥かに面白く、心惹かれる。彼らが非常に優
れた科学者であったが故に、その極めて人間臭い
煩悩やエゴイズムや葛藤を見せ付けられると、天
上人までの距離が急速に縮む思いである。例えば、
あのラプラスについてはこうある。「彼は(フラ
ンスの)血なまぐさい変革の時代を生き抜き、狡
猾で打算的な日和見主義者であることを証明した。
…政治の風向きにあわせて巧みに身を処したラプ
ラスは、投獄や処刑をうまく回避し続けた。」

  本書の専門的記述はかなり高度で難解だが、巻
末には各章ごとの詳細な参考文献リストが掲載さ
れており、本書を読んで向学意識に目覚めた読者
が更に進むべき方途も示されている。

                       伊藤孝士(国立天文台)