重点領域研究の科研費交付に前後して、全地球史解読計画の成果を纏まった書籍 の形で残すことは是非とも必要であるという話はあちこちで聞かれていたと思う。 私達の活動をなるべく多くの人に知ってもらいたい、全地球史解読計画を進める 中で得られた新しい成果や手法を多くの若い学生達に伝えて行きたい、全地球史 解読計画という活動の底辺を広げて行きたい、そのためには何としても書籍の形 式を取った出版物が必要であろう --- そのような意見の流れであった。具体化 した出版構想を私が目にしたのは、重点領域研究の広報普及シンポジウムとして 有楽町マリオンで開かれた「生きている地球の新しい見方---地球・生命・環境 の共進化」(平成10年11月) の場が最初である。そこでは、MULTIER の時代から この研究計画に関心を持って取材を続けて来た東大出版会の小松美加さんが熊澤 峰夫先生と議論して練り上げたと思われる目次の案が披露されていた。当時の出 版構想は全三巻に亘る壮大なものであり、全地球史解読計画に関与していた主要 研究者のほぼすべてが筆を執るという豪華な計画であった。記録によればその内 容は第一巻「全地球史解読の思想と方法」、第二巻「多圏地球史」、第三巻「生 命と環境の地球史」となっている。だが結局、これらが当初の予定通りに発刊さ れることはなかった。今から思えばそれは自然な推移であったと思われる。
全地球史解読計画がまだアングラだった段階、或るいは「あんなものは伝統的な 地質学のエピゴーネンに過ぎぬ」といった有形無形の罵倒中傷を周囲から浴びて いた時代には、関係者は無類の反骨精神を発揮し、一種の団結心を持って全地球 史解読計画の概念の具現化へと邁進していたと記憶する。重点領域研究の申請書 を完成させるために徹夜で議論を行った日々の熱気は今でも生々しく思い出すこ とができる。私達は自分たちの周囲で好き勝手な批判を繰り広げる人々の存在を むしろエネルギー源としていた。全地球史解読計画の概念や思想、その拠って立 つ基盤や将来の姿に関する議論が最も盛んに行われたのは、このような言わば賊 軍としての時代であったと私には思える。その中ではもちろん書籍刊行について の議論もよく行われた。全三巻に亘る出版構想はその当時の熱気を幾分か伝える ものであったろう。けれども、全地球史解読計画が科研費重点領域研究という形 で公式かつ大掛かりな予算を実際に獲得してしまい、言ってみれば官軍になって しまうと、私達はまずその形式に見合うだけの研究成果を生み出さなければなら なくなる。そうなれば、思想だの纏めだのと言っているよりはまず手を動かして モノを作り、具体的な研究結果を出し続けるという作業が活動の大半を占めるよ うになるし、周囲も当然そのような目で私達を見るようになる。実際のところ、 重点領域研究としての全地球史解読計画が首尾良く進展している間には、各々の 構成員は己の研究の推進に忙殺されて書籍の作製どころではない。また、総説的 な書籍よりも査読付き論文の執筆が優先されるというこの業界固有の事情もあった。
というわけで書籍の話は人々の記憶の隅に追いやられていたが、全地球史解読計 画の活動自体は順調に進んでいた。多くの研究会が開かれ、若手を刺激する夏の 学校が企画され、ニュースレターが定期的に発行され、各学会では特別セッショ ンが催され、メーリングリストでの議論も活発であった。元気な若手の何人かは 「ちょー若手会」なる有志集団を結成して意気盛んであった。私自身の経験から 言えることであるが、全地球史解読計画に初めて触れて面白いと感じた人々の平 均的感想はこんなもんだろう。「私がやって来た研究をまったく分野の異なる人々 がこんなに面白がってくれるなんて、一体どういうこと?」細分化された昨今の 学術業界に身を置く限り、理屈では大事だとわかっていても異分野との交わりを 実践する機会は非常に少ない。地球惑星科学は字義通りの総合科学としてこそ存 在意義があるはずなのだが、そのことを頭では理解しても実践出来ない人々が圧 倒的多数を占めるのが世の中の実状である。熊澤先生の言葉を借りれば、全地球 史解読計画は多くの研究者に対して本格的な ``不純異分野交遊'' の醍醐味を知 らしめる良い機会であった。「生命と地球の共進化」をキーワードとした生物学 分野との一大合同などはその最たる例であり、この遭遇から多くの研究者が予想 以上に大きな影響を受けたようである (その影響の片鱗は本書の第六章に於いて も垣間見られる)。不純異分野交遊の自然な成り行きとして、私達の学問的対象 は狭い意味での地球科学を大きく超えた問題にまで広がって行った。例えば本書 でも頻繁に触れられている地球史の第七事件、即ち人類による地球史研究の開始 である。かつての伝統的な地球史研究に於いては、こんなものを地球史上のまと もなイベントとして扱うことなど思いも付かなかった。それが今や学会発表など でこの用語を耳にしても特に違和感が無いと言うのは、考えてみれば大変な話で はないか。要するに全地球史解読計画に関与した人々の意識の中に独自の、或る いは勝手な全地球史解読像なるものが出来上がって行ったと言える。その像は各 人の中で今や余りにも普遍的であり、一般化されており、全地球史解読という固 有名詞の連想を経由せずとも全地球史解読的な発想で物事を考えるようになった。 従って地球史第七事件などを重要なイベントとして地球史研究の議論に組み込む ことに多くの人は何ら違和感を覚えない。私も無論、そのひとりである。
いずれにせよ、超多忙な研究集団の限られた手数が書籍の出版にまで回らなくな るという事態の発生は半ば予想通りであった。しかもこの状況は重点領域研究の 終了と共に加速したから、科研費の交付完了から半年も後にやおら提案された当 初の全三巻本構想が実現されよう可能性はそもそも限りなくゼロに近かったと言っ て良い。全三巻本の出版に至る検討は有楽町シンポジウムの直後から開始された ものの、それから二年を経過した段階で東大出版会に回収された原稿の量は当初 の期待の三分の一にも満たないものであり、その量は度重なる催促にも関わらず 増える気配を持たなかった。全地球史解読計画の思想は既に十分普遍化され浸透 したと考える人々には、書籍のように大袈裟な形を取らなくても良いだろうとい う思いもあったようである。だが私には納得が行かなかった。集まった原稿の量 は少ないが、質は低くない。しかもこの数値を見よ。全三巻分のうち1/3の原稿 が集まった。と言うことは、あと少し工夫をすれば、全一巻の立派な書籍が完成 するではないか?
私と吉田茂生さんは、熊澤先生らが重点領域計画立ち上げの旗振りを本格的に始 めた時代 (1990年代前半) に大学院生生活を送った。科研費が交付された後も、 私と吉田さんは公募研究や学会セッションのコンビーナ、夏の学校の幹事・講師 等という形でそれなりに深く全地球史解読計画に関わって来た。大学院生活の大 半を熊澤先生の近傍で過ごしたから、好むと好まざるとに関わらず全地球史解読 計画の雰囲気を感じ取らざるを得ない環境に居たことも確かである。そんな私達 は当初の全三巻構想に於いても著者として登録されてはいたが、必ずしも計画の 全内容に賛同していたわけではない。全三巻構想は編集を実働するための組織構 造が不明確であった。科研費『全地球史解読』の計画遂行責任者は言うまでもな く熊澤先生であったが、彼はそれ以外にも我が国の地球惑星科学振興全般に関わ る重責を数多く背負っており、本書出版の具体的中心として立ち働くには余りに も時間的制約が多すぎた。他の編者達も非常に多忙な身であり、多くの著者を抱 える煩雑な書籍の編集作業が当時の体制のまま再開される見込みがあるとは私に は思えなかった。そんな折のある夏、私は英国に留学中だった吉田さんの元を訪 れ、本書の話をしたのである。「今ある三分の一の原稿だけ集めても、一冊分に はなるんですよね。このまま出版してもらうように提案してみませんか?」私自 身はそもそも文章書きや編集という作業が好きなので、全三巻を全一巻に圧縮す る作業がさほど大変とは思えなかった。もちろん全三巻構想の下で集めた原稿を 全一巻に縮約すれば、各原稿が有機的に結合するバランスの良い構成を築き上げ るにはちょっとした工夫が要ろう。だがそこは吉田さんの豊富な知識を恃んで著 者間に調整を依頼すれば良い。とにかく私達は合意に達し、全地球史解読計画の 熱気の断片を伝える書籍を世に出すべしという提案を東大出版会に持ち込むこと にしたのである。そして、これはやや予想に反することであったのだが、私達の 構想を耳にした東大出版会の小松さんは直ちに賛同し、驚くほどの熱意を持って 内外の関係者を説得し回ってくれた。もちろん熊澤先生にも各方面へ手を回して の調整と協力を行って頂いた。かくして説得と根回しは成功し、吉田茂生・伊藤 孝士という新編者の下で新しい全一巻の出版計画が平成12年の冬から開始される に至ったのである。
「開始されるに至った」などと仰々しく書いたものの、本書の基本的な骨組みは 長い歴史を持つ全地球史解読計画そのものなのであるから、私達がやるべきこと は各原稿間の内容を調整して本書が首尾一貫した論理構造を持つようにすること だけであった。手持ちの原稿を良く読み、不明な点は著者に質問し、複数の原稿 で相違する記載があれば調整して統一してもらう---そういう作業の繰り返しで ある。本書の全般を通して私達は、とにかく各原稿の相互関係の強化を意識して 編集作業を行って来たと言って良い。本書がどこにでもある個別研究概要の寄せ 集め本ではなく、継ぎ目の無い地球の歴史を継ぎ目の無い科学研究の対象として 扱う稀有な試みの顕現であることを強調したかったからである。だから、もし読 者が本書各部分の関連性に関して何らかの希薄な印象を感じるとすれば、それは そもそも最先端の研究が持つ本然的な性質に由来するものだと言わせて頂こう。 程度の差こそあれ、どんな分野にせよ最先端の研究というものは多数の独善的な 個別領域の集合であり、それらが相互に反発あるいは補完し合いながら進歩を育 むものである。そのような個別の研究の相互関係のあり方を本格的に考え直して 行こうという人間活動こそが全地球史解読計画そのものなのであり、本書出版に 向かっての編集作業はその活動の典型的な一端なのであった。
本書で私が『全地球史解読』という呼称を使わず、執拗に『全地球史解読計画』 と書き続けている所以もここにある。『全地球史解読』は本書の題目であると同 時に科学研究費の題目でもあった。けれどもそれは便宜的なものであり、タイト ルは短い方が読者への印象が強いだろうという予測に基付く方便に過ぎない。 『全地球史解読』の英語名称は DEEP = ``Decoding the Earth Evolution Program'' であるが、本書で私が具現したかったのは定冠詞の付く全地球史解読 計画、即ち縞縞学以来続く特定の人間活動としての the DEEP であった。そこに は学術的な成果や方法のみならず、或る人間達の活動に固有な紆余曲折や失敗や 葛藤、光明を見い出すまでの道程、要するに生身の人間が創り上げた歴史的事実 の蓄積が付随している。私はこのような考えを持って全地球史解読計画に携わり、 本書の編集にも取り組んで来た。だから本書にはこのあとがきのように歴史的事 実を述べた記載があって良いし、第一章や第七章のようにかなり主観的な研究活 動分析論があって良いし、第三章のIKダイアグラムのように先走る概念を検証作 業が追い駆けるという問題提起的な議論があっても良い。そのような試行錯誤の 中で右往左往しながらも目を輝かせて研究活動に驀進している人々の息吹きを本 書を通じて生々しく伝えたかったのだ。著者に執筆を依頼する際にも、私は「論 理の厳密性もさることながら、まずは研究現場に於ける活気と熱意が若い読者に 伝わるような文章を」と強く依頼した。岩城雅代さんに表紙イラストの描画を依 頼した際も同様である。岩城さんが全地球史解読計画に関与した時間はさほど長 くはないが、彼女は全地球史解読計画の本質を誰よりも深く理解しているように 思える。微小なバクテリアに過ぎなかった生命が長い長い時間を経た後に人間に まで到達し、遂には自分達の歴史を繙き始めるという大事件。その事件を陽に意 識し、敢えて ``全'' だの ``解読'' だのという仰々しい文字列を持ち出して新 しい科学研究を流れを紡ぎ出そうとする全地球史解読計画。この試みに対する彼 女の確かな認識と真摯な理解は紛れもなくあの素晴らしい表紙イラストとして体 現され、結実している。それは本書と月並な地球惑星科学入門書との間に画され た明確な一線でもある。
定冠詞の付く全地球史解読計画 (the DEEP) は私達の特定の思想と活動であった。 だがこの活動が次の世代へと受け継がれて行くならば、その過程で定冠詞の持つ 特定性は薄れ、the DEEP は a deep あるいは a variety of deeps へと変化し て行くことであろう。『全地球史解読計画』を『全地球史解読』へ普遍化するた めに---科学研究費の交付が終了しようとも、本書の出版が完了しようとも、全 地球史解読計画という科学運動を次世代へと引き渡す作業を私達が止めることは 無い。この書籍の頁を捲ることで、それぞれの読者が全地球史解読計画という前 代未聞で度し難い研究の現場に流れた活発な雰囲気を少しでも嗅ぎ、私達自身の 過去と未来を見据える活動に少しでも興味を抱いてもらえたとすれば、編者とし ては望外の僥倖である。その上で本書の内容が不十分かつ不完全であることに対 しては、枉げて読者の寛恕を願うのみである。
平成14年10月20日
伊藤孝士